観光サポーター通信

昭和20年7月16日 ~平塚空襲~

平塚は昭和20年7月16日深夜から17日未明にかけて、米軍の空襲により死者328人以上(他市町村を含む)、全焼家屋8,000戸以上、当時の平塚市と大野町併せて65,000人の内、60%以上の人が焼け出される大きな被害を受けました。爆撃中心点は現まちかど広場付近で、当時軍需産業都市であった平塚を壊滅する共に、市民の生活基盤を崩壊させ人々の厭戦意識を作りだして戦争継続の力を弱めようとする戦略と言われています。(平塚空襲の目的については諸説あり、宝善院ご住職のエッセイにも興味深い記述があります。http://www.houzenin.jp/ronbun/17/index.html )。

戦争の遺構として湘南平には高射砲の台座、札場町の乗蓮寺には被弾したお墓があります。八幡山公園には明治以降の戦争において戦没された英霊(空襲等の市民被害者等も含む)を弔う平和慰霊塔が、また横浜ゴム正門近くの道路脇には海軍火薬廠跡の碑があります。平塚空襲による戦禍は現在の湘南ひらつか七夕まつりにも繋がり、また街の形成にも大きく関係しています。

平塚市博物館には戦争にまつわる展示品が、ホームページの“Web読み物”にも戦争に関する記事が載っており、またネット検索によっても、平塚空襲について各方面から多くの情報を得ることができます。

今年は戦後75年になり、改めて平塚で何があったのか振り返ってみたいと思います。

 注)平塚市博物館(HP: https://hirahaku.jp/)の資料を一部参考にさせて頂きました。

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