平塚宿の江戸見附
各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」、京都側にあるものを「京方見附」とか「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。現在、その名も見附町に復元されている「江戸見附」は、明治初期に駐日イタリア公使のバルボラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されたものです。
各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」、京都側にあるものを「京方見附」とか「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。現在、その名も見附町に復元されている「江戸見附」は、明治初期に駐日イタリア公使のバルボラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されたものです。