東海道平塚宿をめぐる
東海道五十三次のうち七番目の宿場。街道から見る高麗山など往時と全く変わらない景色と雰囲気が楽しめます。
東海道平塚宿
平塚宿は、東海道五十三次のうち七番目の宿場です。宿場の大きさは東西に約1・5キロあり、幅約7メートル~11メートルの道の両側に、約50軒の旅籠が並び
酒屋や蕎麦屋などいろいろな商店も軒を連ねていたといいます。
平塚は昭和20年に大空襲を受け、宿場の遺構はあまり残っていませんが、街道から見る高麗山(こまやま)など往時と全く変わらない景色と雰囲気が楽しめます。
宿場散策の入口となる江戸見附近くには、平塚宿まちなみ景観協議会と平塚市がイラストマップ看板を設置していますのでご覧ください。
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平塚宿の江戸見附
各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、一般的に江戸側の出入口にあるものを「江戸見附」、京都側にあるものを「京方見附」とか「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。
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平塚宿脇本陣跡碑
+脇本陣は本陣の補助的な役目をし、大名や公家の家来など、身分の高い人が利用しましたが、特権階級の宿泊のない時は農民や町民など庶民も泊まれたのが特徴です。
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平塚宿本陣旧跡
参勤交代の大名のほか勅使、宮門跡、公卿、公用幕府役人などが休泊する大旅館を本陣といいます。
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西組問屋場跡
問屋場(といやば)とは、幕府の公用旅行者の荷物の運搬や馬の手配を取り扱う場所で、駅・役所・警察の役目も負っていました。西組は1601年に西仲町に置かれました。
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京方見附
各宿場の両端には、城門に似た「見附」が設けられており、一般的に京都側にあるものを「京方見附」とか「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。平塚宿では京方見附と呼ばれています。
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春日神社
旧東海道平塚宿の鎮守です。かつては「黒部宮」と号して花水川左岸十間坂に鎮座しており、源頼朝夫人・北条政子の安産祈願は有名です。
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お初の墓
お初さんは、歌舞伎や浄瑠璃の演目として知られる「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」に登場し、主人(中老 尾上)の仇討をした忠義の女性です。
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平塚の塚
平塚は、なぜ平塚と呼ばれるようになったのか・・。その由来とされるのが「平塚の塚」です。
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お菊塚
お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の一人娘で、怪談「番町皿屋敷」のヒロインとして伝えられています。
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高麗山
平塚宿から、西の大磯宿に向かう正面に、お椀を逆さにした形のこんもりした山、高麗山(こまやま)があります。
ガイドマップ
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